佐藤正治 原田大二郎 朗読とパーカッションの新世界 音の因数分解

この完成に至るまでにどんな日々を過ごされたのか想像も出来ない。
おっと、「完成」ではないよ!「日々成長、進化」だよ!
とお叱りの言葉も聞こえそうですが・・・。

「原田大二郎×佐藤正治 朗読とパーカッションの新世界」
@吉祥寺スターパインズカフェ


暗がりのステージ
スポットライトに照らされた二人、そしてパーカッションの群れ、
キラキラというより、「ニヤリ」と鈍く光りを反射させる。

そのステージから発せられるエネルギーたるや!
芥川龍之介の屈強な文体が立体的となって私の視覚を襲ってくる!

朗読というより演劇に近い。

「素」の文章と「台詞」の文章との切り分けを課題としている私にとっては
最早到底真似できる領域ではない。
顔の表情、頭蓋骨、上半身、下半身、四肢、指先全てを無駄なく使った発声は
登場人物一人一人が原田さんに乗り移っているようだ。

以前、ピアニストの塩谷悟さんとエレクトーンとピアノの音の表現の幅について
語り合ったことがあったが、
原田さんの声は、
人間ならではの熱い血を持ちつつも、精密機械のような緻密さ繊細さをも持ち合わせる。
日本が誇る最先端技術だ!

「魔法の声」とでも表現したいところだが、そんな安直な言い換えは本当に失礼にあたる笑
日々の鍛錬、それは、
例えば「いってきま~す」とか、「いただきます」とか、
そんな「無意識も意識に」しているのかもしれない・・・。

佐藤さんのパーカッションによるその盛り上げは全てがインプロヴィゼーション!!

「原田さんとの朗読の際は、本文は全て把握されているのですか?」と以前の
私の甘えた思い切った問いに、答えは、
「ううん・・笑。一回ぐらいは読むけど・・・笑」

ですよね~。
まさしく、その空間その瞬間で創っていく伴奏音。
2回公演の2回目はまた違うから、と仰ってるのも良く分かる。

イタリアの職人による手作りの楽器は「珍しい」とかいう概念より
「佐藤さんの身体の一部」である。
佐藤さんは、「音は関数?」について以前お話してくれたが
(正直、分かったようで分からなかった。。。情けない。。とても興味深く聞いたのだが)
脳裏にかすかにある薄い理解を刺激しながらの視聴であった。

驚いたのは、意外な電気の多用!

例えば「たき火のパチパチ」という音は、
人間の進化において安堵感を与えるDNAに組み込まれているといってもいい自然音。
そんな自然音こそが身体と共鳴すると思っていたのだが、
佐藤さんの電気音はそれに近い。
電気がないと生きていけない私たちの今の暮らしぶりに寄り添い、凌駕してきたか!!!
あの響き、残響音、身体との共鳴、
それは、空気を揺らし広がる音の粒、

そうだ!見えてきたのは「音の粒」

楽器の因数分解
そして、感情の因数分解!・・・?

書いておきながら自分でもよく分かってないけど、
この秋の私の課題は、上記、とここに定める。

これは見るべき!体感すべき!
な舞台。
「静岡は文化消耗の地」なんて言われているけれど(私が勝手にかな?)
例えば、青葉公園のど真ん中でインプロヴィゼーション的に始めて、
多くの人が止まり、いつのまにか人だかりが出来ている。

そこに、県や市の議会が始まる!
なんていうのは甚だ勝手な私の昔からの考えだが、
何故って?
テンションが上がった観客もインプロヴィゼーション的に、
今の静岡における「個」の悩みを投げかける、政治に関心を持つ、投票率もあがる。
透明で「明け透け」で、民意即反映で、これぞ「民主主義」な政治である。

まあ、そのセンスを持ち合わせる政治家はいないか~!

2021.10.4

コンサート・ライブ